2017年9月17日(古典百名山:14)ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」

「国民」はどう形成されたか

 国民・民族(ネーション)は想像された共同体である。どのようにしてその想像が形成されたのかを、それこそ想像力あふれる洞察をもって説明したのが本書だ。

 だがメンバーによって想像されているということは、どんな共同体でも同じではないか。例えば家族は、一人ひとりの想像の中で互いが同じ家族の一員と認めあっているから成り立つ。居候は同居していても、その想像の中に含まれていなければ、家族ではない。どうして国民に関してだけ、「想像の」が強調されているのか。

 国民は、想像の中にのみ実在しているからだ。国民以前(以外)の共同体は、個人や家族を中心とした伸縮自在の親密さのネットワークとして存在している。「彼は私の仲間である、何しろ我が妹の夫の友人なのだから」といった具合に。

 国民はこれと異なる。どんなに小規模な国民でも、それを構成する個人は他の大多数のメンバーのことを知らず、間接的に知る機会すらもたず、一生会うこともない。それなのに、国民は想像の中では生々しいリアリティーがあって、深い同胞意識によって連帯し、人はときにそのために死ぬこともある。

 国民は近代の産物であり、最も古い国民も18世紀後半より過去には遡(さかのぼ)ることができない。国民とナショナリズムがどのような社会現象を通じて形成されたのかを、アンダーソンは説明した。彼が見いだした原因の中で最も有名になったのは「出版資本主義」。俗語(ラテン語のような知識人の宗教語・学問語ではない、普通の言文一致の文章)の出版物が、資本主義的な野心をもった企業家によって普及したことが重要だ、と。

 すると例えば次のようなことが生ずる。これを読んでいるあなたは、毎朝新聞を読む習慣をもっているに違いない。このときあなたは、ほぼ同時にほぼ同じ情報を得ている――あなたが知らない――読者が、津々浦々にいることを知っている。この読者の共同体が国民の範囲にだいたい相当する。(社会学者)